文久3年2月、幕府の徴募に応じ、尊皇攘夷派がはびこる京に上った浪士たち。その中に、近藤勇、土方歳三らの試衛館道場一行や、水戸浪人の芹沢鴨一派などがいた。清川八郎らと分かれた彼らは、京都守護職の差配下に入り、その屯所を置いた地名から、壬生浪士組と呼ばれる。-のちの「新選組」であった。彼らは尊攘派浪人の取締りに辣腕を発揮、やがて芹沢一派を粛清した近藤、土方らが台頭する。文字が読みやすい新版で登場。