大正3(1914)年5月、東京・高輪に東宮御学問所が設けられた。それは乃木希典の建言をもとに、裕仁親王(昭和天皇)の帝王教育のために作られた学校だった。大正10年3月に閉じられるまで、親王はそこで5人の学友とともに学び、同年11月には摂政となる。最高の人材を投じた学校で、帝王学はどのように教えられていたのか。当事者への取材を交えて7年間の歴史をたどる。